ATLANTA WEB-GUIDE
南北戦争:
当時アメリカ北部は工業中心、南部は農業中心で綿花などを輸出しヨーロッパから製品を輸入していた。南部は自由貿易と低率関税を主張したが、ヨーロッパと比べ工業の競争力が弱かった北部は産業育成のために保護貿易と高率関税を主張し、輸入品には高関税を課した。アメリカの主要な税収は南部の関税で、北部はその税収で産業を支援する道路や鉄道などのインフラを構築していた。
リンカーンが大統領になると南部諸州が合衆国を離脱して南部連合国を作った。この南部の税収を取り戻すために北軍は南部を侵攻した。奴隷解放のための戦争ではなく、それは経済戦争であった。そしてアメリカは自国の産業を保護するために約50%という高い関税を保ちつつ、不平等条約によって日本には0%か5%の輸入関税を受け入れさせた。いったいこのどこが友好的だというのであろう。
ビル・トッテン
出典:No.590 程遠い日米の友好関係
www.ashisuto.co.jp/corporate/rinen/totten/
歴史
南北戦争(1861〜1865)が勃発した1861年頃、アトランタは人口約1万人の州都として、文化、商業、交通、金融の中心地で、南軍の重要な基地でした。このためウイリアム・シャーマン将軍率いる北軍の攻撃の的となり、1864年のアトランタの戦いでは、一面焼け野原となってしまいました。
しかし市民達の手により間もなく復興作業が始まり、翌年には南部諸州の合衆国に対する再統合政府の本部にも指定されアトランタは不死鳥(フェニックス)のようによみがえりました。そのためフェニックスはアトランタ市のシンボルになっています。現在は世界有数の規模、乗客利用者数世界で一、二番を誇る国際空港を持つ近代都市であり、国の重要機関も置かれる流通、交通、文化、教育、スポーツなど南部の中心としての役割も担っています。
時差の関係もあってアメリカ国内どこへでも4時間以内で飛んでいける便利さ、そして労働力の安価さも手伝って会社の本社をここに構えるところも多いようです。主な企業としては、デルタ航空、コカコーラ、UPS.など。また1996年にはこのアトランタでオリンピックが開催され、この都市は米国南部で最も有名な都市となりました。
Downtown
それではアトランタの中心、ダウンタウンを市の主要交通機関であるMARTA TRAIN(マルタ・トレイン)のファイブ・ポインツ駅の周辺からご案内しましょう。ダウンタウンは黒人が比較的多く公共の交通機関、電車、やバスを利用するひとが多いようです。ジョージア州の人口は約700万人その半分がメトロアトランタにすんでいます。ジョージア州全体だと7割が白人ですが、アトランタ市では逆に7割が黒人です。ですからアトランタ市長は黒人で、ジョージア州の知事は白人です。
また、ファイブ・ポインツ駅を降りると駅の前にあるのは、「アンダー・グラウンド・アトランタ」。アンダーグランドは、土産品店やブティック、ナイトクラブなどが100軒以上集まっており、連日地元の人々や観光客で賑わっています。
野球のある日はここから、ターナースタジアムへのシャトルバスがでています。このスタジアムはオリムピックの時のメイン スタジアムでした。
1837年がアトランタの誕生の年と言われています。この年にWestern & Atlantic鉄道がテネシーを結ぶ鉄道工事を開始。アトランタは鉄道の合流地点として急激に発展し始めた。その当時はTERMINUS(終着駅)と呼ばれていました。1845年に「Atlantic 鉄道」からアトランタに改名。「アンダーグランド」はその4つの鉄道が集まる高か線を利用したショッピングセンターです。ゼロマイルポストもこの「アンダーグランド」にあります。
このワールド・オブ・コカコーラの斜め向いにある金色のドームが印象的な 州議事堂。ジョージア州は1828年、アメリカで最初に ゴールドラッシュのあったところ。ノースジョジアのダロネガ市から運ばれた金でつくられています。またそこにはチェロキーインディアンが住んでいました。1838年の冬に、アメリカ軍はオクラホマに14,000人のインディアンを暖かい服も食料も与えず強制退去させました。4,000人のインデァンが旅の途中で亡くなりました。その1,600キロの山道を「涙のトレイル」とよんでいます。また、裁判所、シティー・ホールなどの官庁街があるところですので夜や週末は少しヒッソリします。
コカコーラの大株主だったアサ・キャンドラーが住んでいたいたところがインマン・パークというエリアでアトランタで一番最初の高級住宅街です。ここには、ヴィクトリアン・スタイルの家が立ち並び、現在でも当時の面影を残すように保存されています。また1900年前後のトロリーの車庫(バーン)などもあります。
アメリカの全てのダウンタウンには「メインストリート」があります。
人々が週末に、路面電車にのりダウンタウンにきて、ショッピング、レストラン、映画などを楽しみ、町中の人がみんな顔みしりだったという『古き良きアメリカ』の面影が、ここインマン・パークにはあります。
このようにダウンタウンから少し離れたところ、昔は郊外だったところに住宅街ができると、人は便りさから家の近くに店を持ちたがるものです。それがリトル・ファイブ・ポインツです。ダウンタウンにファイブ・ポインツという中心地がありますね。このように、歴史を少しさかのぼるると、アメリカの小売店の発展の仕組がよく解ります。
オーバン アベニューを東にいくと、キングセンターがあります。キングJr.牧師はこのオーバン アベニューにある家で生まれました。この通りにあるエビネザーバプチスト教会でお父さまも牧師でした。この教会でキングJr.は19才の時副牧師となりその後ボストンで博士号とった後、アラバマのモントゴメリーで牧師となりました。
1957年インド旅行、ガンジー首相の非暴力、平和主義に影響を受けた。1963年の2万人のワシントン大行進を行い、有名なI have a dream.(私には夢がある。私たちの子供がいつの日か皮膚の色ではなく、人格によって判断される日がくるだろう。)の演説を行った。平和の象徴の水(プール)の中の墓には、その結びの言葉=Free at last.「ついに自由」の文字が刻まれています
1961年公立の学校に黒人もいけるようになりましたがそれ以前は、レストラン、バス、トイレも黒人と白人は区別されていました。キングJr.牧師は非暴力による黒人公民権運動の偉大な指揮者でした。その評価のため1964年にノーベル平和賞を受賞しました。1968年、テネシー州メンフィスで清掃会社のストライキを支援にいった時、モーテルのバルコニーで暗殺されました。(お母様も1974年、このエビネザー教会で礼拝中に暗殺されました。)
また、キングJr.牧師記念館の近くには、オークランド墓地があり、マーガレットミッチエル、やマスターズゴルフのボビージョンズのお墓があります。
ピーチツリー・ストリートを北上し、 ピーチツリー・センター駅の辺りへ行ってみましょう。南東部で最初にエスカレーターがつくられたデパートのメーシーズ。その裏中央図書館にはマーガレットミッチェルコーナーがあり「風とともに去りぬ」を執筆したタイプライターなどが展示されています。ちなみにマーガレットミッチェルハウスに展示されているタイプライターはレプリカです。
インターナショナル・ブルバードとの交差点周辺は高層ビルやホテルが建ち並ぶ、ダウンタウンの中心地です。一流企業のオフィスやホテル、レストランが集まっているのもこの界隈です。
このエリアで働くビジネスマンもよく利用するおすすめのレストランとしては、チャイニーズ レストランの「SHU'S(シューズ)、」ステーキならモートン オブ シカゴや南部料理のピティーパッツ・ポーチ などが挙げられます。
しかし、アトランタと言えば、CNNの創始者Ted Tunerのレストラン、その名もTed Montana Grill。Bisonの肉が食べられます。
Bisonは北米で1番大きな哺乳類で、牛肉より鉄分が多い為、その分黒い肉です。
鶏肉よりコレステロールが低く、健康志向の食材です。
西部開拓時に絶滅しそうになりましたが、現在個人の牧場で40万匹飼育されています。
インターナショナル・ブルバードを西に進んでオリムピックパーク、公園のレンガにそれぞれ購入した人の名前が彫られています。マリエッタ・ストリートを渡った所にある建物が、この街を代表する企業、CNNセンター。1980年に24時間のケーブル・テレビを世界で初めて放送した局として知られています。
オリムピックパークを挟むように、「子供の博物館」、世界最大の「ジョージア水族館」、その隣に 「ワールド・オブ・コカコーラ。」アトランタに本社を置くコカコーラ社のパビリオンです。
コカコーラの歴史などが展示されており、週末ともなると子供達の遠足などで入場待ちの列ができる、人気の観光スポットです。ここで世界中のコカコーラの商品を試飲できます。
1866年ジェコブ・ドラッグストアーの薬剤師のペンブルトンが風邪薬のシロップを開発しようと、裏庭でカカオの葉(Coca Leaves)にコーラ豆(Kola Nuts)を混ぜていました。それがコカコーラの原液となりました。最初の名前はエクサレント(Exellent)という名前でしたが、後にコカコーラと名前を変更しました、経理を担当していたアサ・キャンドラーが$500で株を買い、全部の販売権を握りました。彼が引退する時に1100万ドルでその権利を売ったいいますから、なかなかのビジネスマンだったようです。
また、近くのジョージア・ワールド・コングレス・センターは世界で有数なコンベンションの会場です。ジョージア ドームではアメリカン・フットボール、フィリップス・アリーナは、バスケットボール、アイスホッケー、音楽コンサートなどを開催する多目的ホールです。
ダウンタウンからピーチストリートをさらに北にあがると、フォツクスシアター、1929年に建てられたエジプト系の建築です。もとはある宗教団体の建物でしたが資金がつづかず映画王のフォツクス氏によって買収され彼の名前がついています。いまはミュージカルやバレー、音楽のコンサートなどにつかわれています。先ごろアトランタの住民でもあるエルトンジョンもここでピアノ一つでコンサートを行いました。
この前にある古い建物がジョージアン テラス ホテル。1939年で世界で一番最初に「風と共に去りぬ」の映画が上映されたとき、(プレミアム ショー)このホテルがレセプションの会場になりました。いまでも、クラークゲーブルの部屋が記念として残されています。数年前日本の佐藤興業によって修復されました。ディテールを大切にした作業だったので大変な苦労があったようです。
また、その最初に上映された映画館はロウズシアターといってダウンタウンにありましたが、火事でやけいまはありません。このジョージアン テラス ホテルにめんするポンスデリオン通りを東に数ブロックいくと南部料理で有名なメリーマックスティルームがあります。ここを訪れた有名人の写真が壁に飾られています。ジミーカーター元大統領やアトランタ市長、ファーストレディもここを訪れました。フライド オクラでも食べながら、黒人のおじいちゃんのピアノ演奏が楽しめます。なお、このポンス デ リオン通りには、南部の古い邸宅を改造したマンションや古い教会のなかでモンクのサーブをうけながらフォーマル ディナーを楽しめるアビーなどがあります。
また、コカコーラーの本社があるノースアベニューとスプリングロードの角には世界で一番大きいドライブイン レストラン「ヴァーシティ」があります。
店のなかサーバーは全員黒人で店も広くなかなか雰囲気もいいですが、車を駐車場に横づけすると、オーダーをとってくれて、専門のトレィー車のドアーの所に引っかけて食事ができます。ここで名物のチリドッグやスロードッグ(コールスロー)などのホットドッグをランチに食べるのはいいアイデアです。サイドにはフレンチフライかリングスが選べるようになっています。リングスとはオニオンリングス、玉葱をフライにしたもので、ジョージア州特産で甘くて有名なブァイダリア オニオンを使っています。
また、この店はコカコーラの世界で最初のクライアントでいまでも一年に一回世界のコカコーラの会長がじきじきにこの「ヴァーシティ」にきてお祝いをします。このヴァーシティ」は、近くのジョージア工科大学の学生が退学になり、成功して見返てやろうと始めたファーストフードレストランです。「成功は最大の復讐なり。」ということですか?。
さらにピーチツリーストリートを北上するとマガーレットミッチエルハウスがあります。ツアーの台本はここをクリック!(最寄り駅=マルタトレインのミッドタウンステーション)ミッチエルは、アトランタ新聞の記者。10年かかって南北戦争を題材にして「風とともに去りぬ(1936)」を執筆したのがこのアパートです。彼女はここの一階に住んでいました。彼女は身長148cmの小柄な女性で生涯子供をつくりませんでした。「風とともに去りぬ」は、(1937年にピューリツアー賞受賞(Pulitzer Prize).30カ国語に翻訳されていて、聖書の次によくうれています。1939年10月15日ダウンタウンにある、Loew's Theaterで映画は公開されました。彼女はピーチツリーストリートで自動車事故で亡くなりました。
Buckhead
ダウンタウンの北、高速道路を利用し車で約15分の所が、ニューダウンタウンと呼ばれている、バックヘッドです。もともとは、別荘地で、この町の酒場の店先にぶら下がっていた雄鹿の頭にちなんで「バックヘッド」と名前がつきました。いまでは、ショッピング、数々のレストラン、ナイトクラブ、などが立ち並ぶアップタウンです。またバックヘッドは、常に全米の人が選ぶ「住みたい街」の上位にランクされる高級住宅地として知られています。ここの住宅街は前庭を広くとっていることもあって、ロスアンジェルスのビバリーヒルズより凄いといわれています。
ダウンタウンから続くピーチツリー・ロードは各国料理の店が並ぶダイニング・エリアです。近くのチェシャーブリッジロードには、アトランタで最初の日本食レストラン、 中藤(Nakato)があります。アタランタの日本食は、魚は空輸でフレッシユな魚がニューヨーク、フロリダから仕入れていますのでネタも悪くありません。このチェシャーブリッジロードには、アトランタのグルメ街道とも呼ばれ、なかなか地元で味に定評のある、インターナショナルなレストランが集まっていることでもで有名です。
フランスの田舎料理の「サウス オブ フランス」。いつでも地元の品のいいオジイチャンやオバーチャンで賑わっている南部料理の「コロネード」、香港料理(飲茶)の「ホンコンハーバー」。カジュアルイタリアンの「ニーナ」や「アルフレッド」。
また一本道路を離れたピドモントロードには、有名なストリップ劇場の「ゴールドクラブ」がありました。アトランタはストリップの質の高いことで有名で、コンベンションのある時には特に混みあいます。プレイメートやミス ペントハウスのダンサーも踊っています。「ゴールドクラブ」全米で一番だといわれています。しかし「ゴールドクラブ」は、2001年の9月3日、連邦政府によって閉鎖されました。オーナーNYのユダヤ人がニューヨークのギャングとのつながりがあり、売り上げ金がギャングの方に流れていたと考えられていました。2階のプライベートルームでのオーラルセックス、クレジットカードの詐欺などでインベストゲートされたのです。マドンナがダンサーを連れてホテルに帰ったり、ブレーブスのアンドリュー・ジョーンズやぱバスケットボールのスター、パトリック・ユーイングもダンサーと関係もったそうです。しかし謝礼がチップなので罪にならなかった。マイケルジョーダンや多くの俳優も店を訪れました。
南部はもともとバイブルベルトといわれ、バブティスト派の総本山のあるところで保守的な土地柄です。例えば、日曜日にはスーパーマーケットでビールなどの酒類は販売できません。またレストランでも日曜の12時半までは酒類はサーブできません。そしてポルノ業界にたいしても大変厳しいですが、このストリップだけは例外ですべて脱ぎます。現在ナンバー1クラブの
また、チェシャーブリッジロードとピドモントロードの交差する所から遠く環状線I-285まで続く長い道路「ビッフォードハイウエィ」はアトランタのエスニック街道。何百、何千という中国料理、韓国料理、ベトナム料理のレストランがひしめきあっています。お互いの競争も激しく数年前一番味の定評のあるレストランが数年後にはつぶれていたりします。なぜかというと、日本人ははやっているレストランがあるとその近くにはお店をだしませんが、中国人はその反対ではやっている店の前(近く)にだして、その客を奪うのだそうです。
この「ビッフォードハイウエィ」の中華レストランの代表格は「豊美」。韓国に住んでいた、中国人がオーナーで、日本にも住んでいたいたことがあります。ですから中国と韓国と、日本の味がうまくミックスされていて日本人好みの中華料理をサーヴィスしてくれます。お勧めは、焼きギョウザ、肉マン、あんマン、エビチリソース、韓国風スパイスのきいたチャンポン等、等、ツケタシのキムチ、ザーサイもうれしい。なお米、ショウユも日本のを使っている。おまけに簡単な日本語を通じます。これは最高でしょう。
ピーチツリー・ロードとレノックス ストリートが交差するあたりが、バックヘッド中心です。高級感漂う落ち着いた雰囲気のショッピング・センター、フィップス・プラザや、アトランタで一番人気のある1956年創業の気軽な雰囲気のレノックス・スクエアモール、そしてアトランタで一番のホテル、リッツカールトンなどがあります。高級住宅地としても知られるバックヘッド地区の顧客を対象にしているレノックス・スクエアには、モール・レベルと呼ばれる1階部分を中心に、バッグのコーチやルイ・ヴィトンをはじめ、靴のバリー、英国紳士服の老舗バーバリー、高級宝飾店のカルティエ、クリスタルと陶磁器のウォーターフォード/ウェッジウッド、紳士/婦人服のポロ・ラルフ・ローレン、ブルック・ブラザーズ、カジュアルウェアのバナナ・リパブリックなど200店以上の専門店と3つのデパートが入っています。
マーケット・レベル(地下2階)にはフード・コートも設けられており、地元の人々や観光客で一日中賑わっています。また、いいレストランもはいっており、ステーキとシーフードそして寿司バーもある「プラム」や「トムトム」。今ステーキレストランと寿司バーの組み合わせがトレンドです。フランス料理の「ラ フォンテーヌ」などが評判です。このレノックス・スクエアの斜め向にあるのが「フィップス・プラザ」です。レノックス・スクエアの書面の入り口付近から専用のシャトルバスもでていますので便利です。
ここは、バックヘッド地区の中でも一番高級なショッピング・モールです。フィップス・プラザには、サックス・フィフス・アベニューやロード&テイラーなどのデパートをはじめ、100軒を超える専門店、レストランが集まっています。豪華な館内で、買物を楽しむ人々の姿が見受けられます。
1階には高級宝飾品を扱うH.スターン・ジュエラーズや金、銀製のアクセサリーが人気のティファニー、皮製品のグッチ、紳士/婦人服のジャンニ・ヴェルサーチ、アウトドア用品のティンバーランドなどの一流ブランドのブティックが並んでいます。また、ナイキ・タウンのアトランタ店もあり、スポーツ好きの人には見逃せません。
2階にはカジュアルのアルマーニ・エクスチェンジや全米200の美術館の彫刻や絵画の複製品を扱うザ・ミュージアム・カンパニィーなどがあります。
3階はベランダ・フード・コートとなっており、気軽に食事ができる他、14本の映画が楽しめるAMCシアターも併設されています。本格的なレストランとしては、リブステーキが評判の「ザ ターバン イン フィップス」、イタリアンの「ベルトニーズ」など。
フィップス・プラザとレノックス・スクエアに挟まれるようにあるの、リッカールトンホテルにはアメリカ南東部で唯一のファイブ スターレストランの「ザ ダイニング レストラン」があります。またここの「ザ カフェ」も軽食には最高です。
このバックヘッドには、数えきれない程の一流レストランがあります。ステーキの「ボンズ」や「チョップス」。アメリカの権威ある雑誌「ワイン & フード」でアメリカのトップ10、ニューシェフに選ばれたSotohiro Kosugiの「ソト」。ザグランド ハイアットホテルの「鴨川」は2001年12月閉店ご注意下さい。地元の新聞で推薦された「橋口ジュニア」。フレンチ風、コンチネンタルの「103ウエスト」、イタリアンの「ラ ゴラッテ」「アブルッジ」「アスティ トラトリア」。「バックヘッドレストラン グループ」の「アトランタ フィッシュマケート、」「プリッチ」などは、常に定評があります。また、ピアノのトリオのジャズを聞きながら「オイル ホンデュ」を食べられる、「ザ ダンテズ」。アップスケールコンテンポラリージャズのナイトクラヴ「オットーズ」これは、キリがありませんネ。
「ピーチツリーロードはオリムピックの時のマラソンのコースになったところ。」なんて思って少し南に下ると、大型ショッピングモールの行き帰りの客を狙った「カテゴリーキラー(大型専門ディスカウントストアー)」があります。ブランドの服を安く売る「マーシャルズ」。オフィス用品の「オフィスマックス」。ペット用品の「ペットマート」この隣の、スポーツ用品の「スポーツオーソリティ」。このパワーセンター(カテゴリーキラーが集まっているショッピンゲセンターには、お惣菜だけを扱って日本の食品、流通業界でも話題の「イーチィズ」が入っています。ここでお惣菜を買って、このなかのカフェテリアで食べると一流レストランで食べる料理をその40%〜60%の値段で食べられます。これは裏技。
またこの「イーチィズ」の向いにはリヴィングルームのカウチがあってコーヒーを飲みながら自由に本が読める、「バーンズ & ノーブル」があります。本の値段も安い。また、このショッピンセンターにある「パブリックス スーパーマケット」や、キッチン、家庭用品の「リネン & シングス」にたち寄ってみるのは、また奥の深い楽しみかたです。また、この近く24時間営業の大工センター「ホームディポ」やディスカントストアーの代名詞「Kマート」や「ウォルマート」に行ってアメリカの庶民の普通の生活感覚に触れるのももっと深い楽しみかたかもしれません。
アメリカン ドリームの代名詞のバックヘッドの大邸宅。マスターズゴルフの創始者ボービージョーンズの元住んでいた家、コカコーラの元会長ロバートウッドラフの白亜の豪邸。歌手のエルトン ジョンの住んでいるペントハウス。
39代大統領ジミーカーターもジョージア州知事時代住んでいた、州知事公邸は白いギリシャ風の30本の柱が特長です。この州知事公邸の近くのアトランタ歴史協会、アトランタの歴史が解る展示や、1920年30年頃の綿花で財をなしたインマン家の「スワンハウス」を見学するのもいいでしょう。疲れたら地元の婦人たちのサロンになっている、スワンコーチハウスレストランでランチをとるのもグッドアイデアです。
Stone Mountain
さて、アトランタからポンスデリオンストリートを東に車で30分走ると、アトランタで一番の観光スポット、ストーンマウンテン公園に到着します。その名前が示すとうり石の山、高さが約251m(海抜512メートル、周囲7キロ。)ほどあります。ジョージア州は、アパラチアン山脈の南のふもとに位置していて花こう岩の産地でも有名です。火山の活動で3億年前から毎年少しづつ盛り上がって現在のドーム形になりました。ですから、アルプスやヒマラヤ山脈より古いと言われています。その山の壁にコンフェデレート(南軍)のメモリアルの彫刻(縦27m、横58m)が彫られていて、この種の彫刻では、世界一だといわれています。。彫刻は1923年に作業にとりかかり途中36年間の休息があり1970年に奉納されました。レリーフは左から南部連邦大統領ジェフーソン・デービス、ロバート・E・リー将軍、トーマス・ストーンウォール・ジャクソン将軍。まずは、メモリアルホールの展望台でご覧になってから、ケーブル・カー(Sky Lift)で頂上まで昇るといいでしょう。
このストーンマウンテンには、この他にも南部の昔の大地主の邸宅やスレーブキャビン(奴隷小屋)などをあつめた「プランテーション」や、「アンティークカー ミュージアム」ここは、車だけではなく昔のジュークボックスなども展示されてあり、コカコーラパビリオンよりもはるかに興味深いものがあります。そして、パブリックのゴルフ場が2つ、オリムピック施設のテニスコート。オートキャンプ。湖の蒸気船、バスフィッシング。山の周りを走る汽車。夜には、彫刻に写しだされるレーザーショーなど家族が一日かけて楽しめるところです。山をみながら食事ができるイン(ホテル)では、朝、昼、夜と南部の家庭料理をビゥッフェ(バイキング)スタイルでサーブしてくれます。
帰りにはストーン マウンテン ヴィレッジに立ち寄ってみましょう。ストーン マウンテンの西門からでるとすぐそこは、人口7,000人の村。鉄道の線路のある、歴史的な建物のダウンタウンには、アンテークショップ、コレクタブルショップ、カントリーラインのギフトショップ、レストラン、ベッド & ブレックファースト等時代に置き去りにされたような暖かい村がここにはあります。