ケイジャンとクリオール

ヌーブェル・オルレアン(訳者注。フランス語でニューオリンズ)は1718年、フランス人によって発見され、1721年に植民地が建設されました。チャーター・ストリート1114番地にあるウルスラ修道院は、当時の建築がそっくり残っている唯一の建物です。その後ニューオリンズはスペインの領土になりましたが、ニューオリンズはフランスの面影が強く残っている町です。

ニューオリンズでよく耳にする言葉に、ケイジャンとクリオールの2つがあります。いずれも、民族や文化、料理に用いられます。

クリオールという言葉から連想されるイメージは、黒い瞳を持ったエレガントな貴族でしょう。フロックコートをまとった細身の紳士とシルクとレースのドレスを上品に着た淑女の姿が目に浮かんできます。

ところで、クリオールという言葉の正確な定義は何でしょうか。頭文字は大文字のCの場合は人を意味し、小文字の場合は優雅な建築様式やエキゾチックな料理、クリオール・トマトなどに使われます。

スペイン語のクリオリョ、及びそのいとこに当たるポルトガル語のクリオウヨは、西インド諸島の純粋の子孫を指し、植民地では他人種と結婚した移民の子孫とを区別していました。西インド諸島のフランス人は、この言葉をクリオールと呼び、クリオールとはつまり植民地生まれの純粋のフランス人を意味したのです。

遅れてこの町にやってきたアメリカ人と激突したのも、この三日月の町に単なるロマンチックな風情以上の、優雅で荘厳な文化をもたらしたのもクリオールです。また、世界的に有名なクリオール料理をつくりあげたのもクリオールなのです。

クリオールとケイジャン料理は、たちまち世界中に有名になりました。

ケイジャンの歴史が17世紀にまでさかのぼります。17世紀に、フランスの植民グループがカナダ南東部の現在ではノーバスコシア州と呼ばれる地域に移住しました。当時、この地方はアカディア(フランス語でアカディー)と呼ばれ、居住民はアカディアンと呼ばれました。このフランス語を話すアカディア達は、敬虔なカソリックで農業と毛皮猟で生計を立てていました。18世紀の初めにイギリスがこの地方の支配権を握るに及び、プロテスタントの支配側とカソリックのアカディアンとの間に衝突と争いが持ち上がるに至りました。結局、プロテスタントへの改宗を拒否した移民達はイギリス軍によって追放されるはめになったのです。それが起こった1755年はアカディアンにとっては悲運の歳月でした。家族は離散し、恋人同士も別れ別れになりました。この悲劇の物語は、ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローの叙事詩「イブァンジェリン」に痛恨の思いをこめて描かれています。

アカディアンの一部はフランスに戻りましたが、当時そうしたアカディアンに同情的だったスペインの支配下にあったニューオリンズに移住した者も数多くいました。敬虔な信仰と楽天性を持ったケイジャンは、この地に新しい活気をもたらしました。1763年までには彼達もこの土地に馴染み、ニューオリンズの西側にある地域に住まいを持ちました。そして20年語、スペインの執政官は、カナダから追放になってフランスに戻った多くのアカディアンを呼び戻すため、7隻の船を調達しました。大西洋の船旅は難儀を極め、生き残って到着したのはわずか3000人程に過ぎませんでした。

今日、ルイジアナ州南東部の人々はアカディアン、また、その土地をさしてケイジャン・カントリーと呼ばれています。楽天的なケイジャンの気質は、食べ物、言語、音楽のみならず、南ルイジアナやニューオリンズの町の雰囲気にも、独特な風味を加えています。

(ハニ・ネイラー/ニューオリンズ観光会議委員会広報部からの依頼による執筆)