言葉

造幣・ニューオリンズスタイル
エスプラネード・アベニューにあるオールド・ニューオリンズ造幣局は、アメリカ合衆国の造幣局で最古の建築物です。ウィリアム・ストックランド氏設計による建築で、1838年に完成し、この造幣局では、298、660、707.60ドルの米国貨幣が鋳造されました。1861年には南北戦争で敗北した時、ルイジアナ州がこの造幣局の所有権を取得し、今日、造幣局の建物はルイジアナ州美術博物館の一部になっており、この中にはマルディ・グラの展事物やジャズの展事物、そしてリサーチ図書館が入っています。

ローマン・キャンディーマン
1915年、サム・コルテゼ氏は、かつてイタリアでの彼の家族がよく作っていたトフィーのような菓子を、ニューオリンズの市民に売り始めました。それ以来、コルテゼ氏の子孫が、引き継いで同じ菓子を売り続けています。ラバがローマン・キャンディーマンの乗った白い荷車を引く光景と、このローマン・キャンディーは、この町の代表的な名物の一つとなっています。サム・コルテゼ氏の孫にあたるロン・コットン氏は昔ながらの伝統を今も伝え、彼の姿はスパニッシュ・プラザやセントチャーチルズ・アベニューのオーデュボン公園の入り口など、町の至るところで見られます。

コクティエはいかが?
ローヤル・ストリート437番地に最初に住みついたのは、アントワン・アメディ・ベイショーという薬剤師でした。彼の薬の調合の仕方は、出生地カリブの島に伝わる処方に従い”苦い”薬を混ぜ合わせることで有名でした。ペイショード氏は、こうした体に良い、苦い薬を少量入れて強味をきかせたコニャック・ブランディーをメーソニック(相互援助を目的とする秘密結社の会員)の会合の後に配り始めました。言うまでもなくベイショー氏の店はたちまち人気が出、人が集まる場として賑わうようになりました。彼は飲み物を調合するときに卵のカップを使い、この飲み物はフランス語でコクティエと呼ばれました。フランス語に馴染みのない人達は”コックタイ”と呼び、これが後にカクテルと呼ばれるようになった由来です。

キングケーキとカーニバル
キリスト誕生後12日目の夜、賢者が贈り物を抱えて訪問したことを記念して、クリスマスから12日目には世界中の人々がお祝いをします。3人の王を誉め称え、あらゆる国ではキングケーキと呼ばれ特別のケーキを焼く習慣があります。ヨーロッパ人はケーキの中に豆を隠し、ラテンアメリカではキリストを思わせる小さな人形を中に隠して焼きます。食べる時に、この人形に当たった人は、その年一年中良いことがあると言われているのです。キングケーキの伝統は、ニューオリンズでは少々形を変えて受け継がれています。このお祭り好きの町の伝統というのは、プラスチックの人形に当たった人が次のキングケーキパーティーの主催者とされるものです。つまり1月6日(クリスマスの12日後)からマルディ・グラ(謝肉祭)当日まで、キングケーキの中に潜む人形を巡ってホストが変わり、延々とパーティが続きます。ニューオーリンズ式のキングケーキは、マルディ・グラを象徴する紫・緑・金の三色の糖衣で鮮やかにまぶしてあり、毎年カーニバルの時期になると、この三日月の町では、何千ものキングケーキが売り出されます。

ストーリーヴィルの女達
1744年、あるフランスの将校が、この町全体で貞淑な女性は10人もいないと嘆いたと言われています。(1817年には、ワイセツな行為に身を持ち崩していると見られる女子には、25ドルの罰金が下されました。)その後1857年頃まで、市が娼家のマダムや娼婦にライセンスを発行していたのですが、税金を収集するという名目で、市長自らが娼家に入り浸るなどということさえ行われていたのです。1897年になると、こうした娼家が中流階級の住居に侵入してくるのを防ぐために、アルダーマン・シドニー・ストリーヴィル氏が売春地区を一か所にまとめる条例を提案しました。この提案はさっそく採用され、赤線(ギャンブル)地区はアルダーマン氏の名前をとって、通称”ストーリーヴィル”と呼ばれるようになりました。ストーリーヴィルの繁華街は、ベイスン・ストリートのはじめのほう(カナル・ストリートの近く)です。州議会員のトム・アンダーソン氏がこの地区を取り仕切っていました。(訳者注。彼自身、キャバレーを数件持ち、そのうちのひとつが”クリアリング・ハウス”と呼ばれ、この辺りでの取締場所・情報機関としての役割を果たしていました。また、娼婦のリストを載せたブルーブックは、彼によって出版されたものです。1973年オックスフォードプレス出版「バーボンストリート・ブラック」ジャック・バークル、ダニー・パーカー著による。)ブルーブックと呼ばれる、娼家やその女達を詳しく載せたリストの広告雑誌も出され、赤線地区の中で特に人気のあった娼家はミス・ジョジー・アーリングトンのパレスとマホガニーホールです。ストーリーヴィルは、20年間公に認められていあた赤線地区せしたが、1917年、合衆国の海軍将校の指揮の下に閉鎖され、現在、ここには以前の跡形は何も見られません。

ヴードゥ女王、マリー・ルヴォー
ヴードゥ教は、1700年の終わり頃、サント・ドミンゴからニューオリンズに移ってきた奴隷によってもたらされた宗教で、コンゴスクエアーではヴードゥ教の儀式が行われていました。ヴードゥの女王と呼ばれたマリー・ルヴォーの正体は不明で、彼女にまつわる伝説が数多く残されています。(ある一説によるとマリー・ルヴォーは三人実在していたとあり、こうなるとますます霧に包まれた謎の人物です。)マリー・ルヴォーは、1800年代に生存し、非常に強力な呪いをかけることが出来たといわれています。今日、彼女の信仰者がいうには、セントルイス・セメタリーNo.1にあるマリー・ルヴォーの墓を訪れ、煉瓦の粉を振り掛けると望みがかなうそうです。この墓はたくさんの赤いXの文字で覆われているので、すぐに目に入ります。信仰者の言う説が本当かどうか試してみるには、フレンチクオーターの中に、一服分の薬やグリグリ(呪いをかけるために使う小さなお守り)を売っているヴードゥ教の店がいくつかあります。

(ハニ・ネイラー/ニューオリンズ観光会議委員会広報部からの依頼による執筆)