ニューオリンズの音楽

ニューオリンズはジャズの発祥地であり、この町では生きたジャズが一年中聴くことが出来ます。ピート・ファウンテンの軽快なリズムに乗った演奏や、ネヴィル・ブラザースの躍動的な音楽があり、プリザベーション・ホール、パット・オブライエンがあり、アラン・トゥセイン(”サザン・ナイト” 作詞作曲者)やヴァーネル・バネリス(”ワン・モア・タイム”の創作者)、ファッツ・ドミノなどがこの町を拠点に活躍し、また。マルサリス家族(エリス・マルサリスと3人の息子、ブランフォード、デルフェィヨ、2つのグラミー賞を受賞したウィントン)のホームタウンとしても有名です。そして、世界中に知られるジャズ・ミュージシャン、ルイ・”サッチモ”・アームストロング(1900年生まれ)出身地でもありあます。このように、ここニューオリンズは、紛れもなくジャズの町なのです。

毎年春になると、ニューオリンズ・ジャズ&ヘリティジ・フェスティバルが開催されます。20年前は、民家の裏庭を利用して行われるジャム・セッションでしたが、それが今日では、世界中から何千人ものミュージシャンやファンが押し寄せる大規模なジャズ・フェスティバルに発展しました。4月の最後の週末から10日間、休みなしに音楽が繰り広げられます。 

ジャズ・フェスティバルの後の様子ですか?
ひっそりと静まりかえるか、それとも”正常な”状態に戻るか・・・

もちろん静まりかえるのではなく、”正常な”状態に戻ります。つまり、ニューオリンズでの”正常な状態”というのは、休みなく音楽が流れていることを示すのです。ここは音楽が24時間、絶え間なく流れている所です、いつ始まっていつ終わるかなど誰も知りません。ここはニューオリンズです。ジャズ・フェスティバルであろうとなかろうと、この町のミュージシャンの演奏は休むことはありあません。

バーボン・ストリートを歩くと、ジャズ、ケイジャン、リズム&ブルース、アイリッシュ、ブルースなど、様々な音楽があちこちのクラブから流れてきます。とにかく、ここではどんな音楽でも聴けます。ニューオリンズは音楽の歴史がぎっしりと詰まった、リッチなガンボスープのような町です。夕食がとれるジャズ・クラブや穏やかな雰囲気に包まれたピアノ・バー、洗練されたディスコ、野外のカフェなどで、デキシーランドやブラスバンドの演奏が繰り広げられ、ミシシッピ河の遊覧船でも生のジャズ演奏が聴けます。

多くの歴史学者によると、今日のジャズといわれる音楽を世界で初めて演奏したのは、チャーリー・”バディー”・ボールデンというコルネット奏者で、彼は、コンゴ・スクエア(現在の、アームストロング・パークの中にあるミュニシバル・オーディトリアム跡)から聞こえてくるリズムや音からインスピレーションを受けたと言われています。”バディ”・ボールデンは、曲を聴いて、使われる楽器一つ一つを暗記し、その後で即興を加えて自分のものにするという、非常に優れた才能を持っていました。コルネットを選んだというのは、曲の中でリードする楽器だからであり、彼自身、生まれながらのリーダー的存在でした。

18世紀から19世紀の終わりにかけて、コンゴ・スクエアは、ウエスト・インディアンの奴隷が土曜日の午後に集まって踊り歌い、一週間の宴をする場所でした。1720年に、彼達が植民地に輸送されるとき、歌や踊りなどの彼達独特の分化、ブードゥ教を一緒にもって来たのです。1817年、市議会では、ブードゥ儀式を押さえるため、日曜日の午後を奴隷の祝日と定めました。[訳者注:ブードゥ教の儀式は歌や音楽が多く入るため、外から見分けられるので、市議会では日を定めて取締り易くしたものである。] (結局、この目的は失敗に終わりました、ブードゥ教の信者は、町から離れ、湿地帯の方に広がっていったものです。)19世紀、コンゴ・スクエアは最も観光客を引き付ける場所となりました。何千人もが集まり、カリンダやバンボウラと呼ばれる民族踊りを見物し、骨を使いカチカチと鳴らすリズムや、ドラムの音が繰り返し入る歌を楽しみました。

コンゴ・スクエアは、バディ・ボールディンが生まれた頃も活気づいていました。彼はリズミカルなビートを子供ながら聴き、そうした音楽が魂の中で育まれ、後に、ブラスバンドやスピリチャル、ダージズ、ラグタイム、”ダウンタウン”の黒人音楽などと混じり合い、全く新しい音楽のジャズをつくりあげました。20世紀の初めになると、彼は町中のあらゆる場所でジャズを演奏するようになりました。

時が移っても変わらないものがあります。あらゆる場所で、町のいたる所で、今も生きたジャズが演奏されています。

(ハニ・ネイラー/ニューオリンズ観光会議委員会広報部からの依頼による執筆)